イベント・レポート

第13回全国障害者将棋大会

〜生きてこそ光り輝く〜

年月日:2000年10月29日(日)

場所:東京都障害者福祉会館

リポータ:谷川 俊昭e-mail : tanigawa@cspd.ricoh.co.jp


手話への挑戦

10月29日、恒例の障害者将棋大会が行なわれる。別に意識したわけではないが、シドニーでのパラリンピックの閉会式と重なっていた。

リコーはこの大会を3年前から後援させていただいている。当日も私が社を代表して挨拶する他、手話クラブの有志の方にもお手伝いしていただくことになっていた。

ところで、この挨拶、毎年話す内容に悩むのだが、今年は一つのテーマがあった。それは手話を入れることである。ご存知のように、リコーは手話クラブが積極的に活動しており、以前例会に参加していた時期もある。でも英語と同じで使う機会がないので上達しない。というような訳で挫折していたが、今回はテレビドラマ「君の手がささやいている」に刺激されたこともあり、手話を入れることに決めた。

青山事業所の手話の活動は金曜日の昼休みである。結局、直前の1回しかチャンスがなかったが、手話クラブの皆さんに特訓を受けて、何とか形は作れそうな感じ。でもやはり不安になり、手話の辞書を借りて自宅での特訓に備えた。

ただ、この日は、とあるサイトで指導将棋&chatが行なわれており、私はそちらの参加に大忙し。その後、人気プロとのchatに入ろうとしたら混んでいたのか入れなかった。残念(><)。

そんなこんなで前日となるが、目の前の公園のお祭りとかあって、結局練習を始めたのは夕方から。10回以上繰り返して何とかそれなりの自信が持てるようになった。しかし、あらためて聴覚障害の方の大変さが判ったような気がする。

ホームページの掲示板を一巡り。懐かしい女性の書きこみを見つけ幸せな気分になる。

予報通りの雨

翌日は予報通り小雨。これは障害者にとっては嫌なものである。当日欠席者が増えることが予想されるが仕方がない。娘を叩き起こして新宿に向かう。え、何で一緒だって? 実は前回の職団戦レポートと同じで、今日もたまたまタイラミーの大会が六本木で行なわれるのだ。実は私は職団戦の日に歩き回りすぎたのが原因か、右膝を軽く痛めていて、娘を連れていくか少し迷ったのだが、こういう大会を見せることも良い社会勉強になると思った。でも、小3の娘を六本木で遊ばせる親って一体(^^;)。

集合予定の9時前に会場に着く。会場の東京都障害者福祉会館は、既に門が開いており、障害者のスタッフの人たちが忙しく会場を作っていた。私はちょっと膝がきついので、力仕事はパスさせていただいて、既に到着していたリコーの手話クラブのお二人と軽く打合せ。手話を見ていただこうとすると指導のプロの先生や、手話クラブの残りの方が来られ、結局見ていただくことはできなかった。ただ、指文字で表現しようとしていた「バリアフリー」は、壁をぶち壊すという感じでやればいいらしい。判りやすいので採用しようと思ったが、結局本番では忘れてしまう。

さて、続々と参加者が集まってくる。目立つのは車椅子の方だが、他にも視覚障害、聴覚障害など、いろいろな障害をお持ちなのだ。それにしても受付の準備が遅れている。何か、集合時間を勘違いしているらしい。まったく困ったものである(><)。

仕方ないので、今いるメンバで対応する。娘もそれなりに活躍した。彼女を連れてきてよかった(^^)。ただ、やはり当日欠席者が1割以上いる。残念なことだが、お天気のこともあり仕方がない。

開会式

10分ほど遅れたが、開会式が始まる。ハンドマイクの準備をしながら、私は大変なことに気付く。マイク持ったら、手話できないじゃない(><)。仕方ない、大声はりあげるかと思ったが、マイクは垂直に立つことが判って一安心。

会長の挨拶に続いて、来賓の私の挨拶である。ゆっくり立ち上がってマイクを垂直に立てた。「皆さん、おはようございます」で軽い拍手が沸く。深呼吸して次のフレーズに移る。「手話サークルと将棋部でお手伝いさせていただきます」まで話した時に、今度は大き目の拍手が来たが、実はまだ半分まで行っていないのだ。続けて次の段落へ移る。最後まで手と口でしゃべって壇から降りた時、私はホッとする以上に、来年のことを考えて頭を抱えていた(^^;)。

それにしても、同時通訳(もちろん、私の時はしていないが・・)している手話クラブの方の手話はすばらしいと思った。

続いて、毎回来ていただく所司六段、谷川女流四段、宇治女流二段の紹介があった。

開会式が終わり、いよいよ4回戦からなる大会が始まる。四段以上の1部、有段者の2部(3クラス)、級位者の3部(3クラス)に分かれている。いろいろな障害の方がいるので、対局が始まるまで時間がかかる。視覚障害の方は専用の盤(格子が切ってあって、桝目の位置も符号で入っている)を使う。また、指し手を符号で言って、介添の方に指してもらう人もいる。

そろそろタイラミーの会場に移動する娘に、会場で奮戦する選手の皆さんの様子を一通り見せる。彼女は何を思っただろう。

バリアフリーなんて嘘

都営線の三田から日比谷経由で六本木に向かう。私は階段をゆっくりとしか降りられない。それにしても下りのエスカレーターがない。バリアフリーなんて嘘だと思う。選手の皆さんはどうやって来たのだろう。やはり車が多いんだろうか?

六本木はシトシト雨。お弁当を買った後、急ぎ足でタイラミーの会場に向かう。娘を置いて私はすぐに会場に戻る。今度は上りのエスカレーターが多くて、比較的楽だった。そろそろお昼。私もお弁当をいただいた後、指導対局に向かう。

石橋女流登場

指導対局は段取りが悪いというか、運営の方が危なくてそれどころではなかったので2局だけ。聴覚障害の方が2枚落で挑まれたが残念ながら1手負け。でも、かなり混戦になったのにもかかわらず、落手がなかったのはびっくりした。

大会運営についてはあまりにひどく、選手の皆さんにご迷惑をおかけしたと思うがここでは省略。ただ、選手の皆さんが気持ち良く指せて、運営の立場としてもスムーズに時間通り終わらせることが基本。まあ、運営&選手経験24年の私から見ると、ほとんどの大会が変に見えるのかもしれないが・・・。

午後になって、この大会の卒業生でもある石橋女流三段が、お母さんと一緒にいらっしゃった。彼女のことは、最近TVでも取り上げられたし、本も出されたので皆さんも良くご存知だと思う。この日も某出版社の取材も入っていた。指導将棋で、彼女が一番人気だったのは言うまでもない。

決勝戦

3時半、何とか終わりそうなメドが立ったので、1部の決勝戦に目をやる。車椅子の選手同士の戦いとなった。前年度優勝の宗方さんに、高岡さんが挑む。宗方さんの向い飛車からの急戦に、高岡さんもきびきびと切り返す。気持ちのいい攻めだったが、少し急ぎ過ぎだったか。大駒をすべて失う。それでも手堅く受けておけばまだまだだったが、駒を惜しんだため宗方さんの連覇となった。宗方さんはアマ王将戦準優勝(この時は私も負かされた)の経験もあり、さすがと言える。

表彰式

無事にすべてのクラスの優勝者が決まった。表彰式である。所司六段が著作を3冊プレゼント。その他、扇子や書籍が並び、上位から順番に選んでいくという趣向である。

最後に石橋女流三段から締めのご挨拶。そして彼女の著作である「生きてこそ光り輝く」が本大会で一番の重度の障害を持つ3名の方に贈られた。ひときわ大きな拍手が鳴った。「気をつけてお帰りください」の言葉で大会は幕を降ろされていく。

お疲れ様会

残ったスタッフで部屋を片付けた後、食堂に場所を移してお疲れ様会が始まる。私の目の前には石橋母娘が座る。お母様のそれは明るいこと! この明るさがあってこそ石橋プロはここまで来たのだなと思う。もちろん、一番は本人の努力だろうが・・・。話はネット対局に移り、所司さんと石橋さんはレーティングの得点を比べている。私はi-modeでの対局の様子を皆に見せる。

あっという間に時間が過ぎた。さて酔っ払っていてはいけない。まだ仕事が残っている。

疲れたけれど・・・

一人で娘を迎えに行く道は、さっきと少し違うような気がするがこれは酒のせいか? 前回はオリンピックの最終日、今日はパラリンピックの最終日となれば娘の3連覇を予感するが、これは親バカか。六本木に着いて会場に入って結果を聞くと残念ながら二位。でも娘はマグカップをもらって笑っていた。

帰りのロマンスカーの中、「今日、受付やってて、選手の人に誉めてもらったよ」と娘。そうか。それは良かった。

本厚木に着いて階段を降りる時に反対側の膝に軽い痛みが走る。やはり今日は運動量が多かったか。お風呂に入って少し楽になる。

少し疲れたけれど、いろんな方から元気をもらった、そんな一日だった。Copyright (C) 1999-2003 Ricoh Co.,Ltd. All Rights Reserved.